弁理士うめざわブログ

特許事務所の弁理士による、特許事務所業界ブログ

特許事務所としての創業期が終わる

特許事務所の経営というものを通常の会社と同じとして
並べるのも多少の違和感はあるのですが、
それでも勤めていた頃とはやはり違うものがあります。
仕事を取ってこないと売り上げが成立せず、収入どころか
経費支出でマイナスというところから始まりますので、
その辺のどん底を抜けるのが第一段階になります。

しばらくして売り上げが立つようになると、利益をねん出する
ということが大事になり、安定的なサービスの提供を
できるようにするための体制に移行していきます。
その一方で、独立したての頃の感覚は変わりませんし、
依頼が一時的に亡くなったりすると、
もう終わりかななどとそんなことも思ったりします。
勤めに戻ることも頭から離れないのですね。

創業期ってどこまでがそうなのかというのも
なかなか定義しづらいのですが、創業したての頃が
過去の話になっていく頃が創業期の終わりなのでは
ないのかなとそんな風に思っています。
だとすると、今自分は創業期を終えたのかなと感じています。

独立したては居室にスペースがなく、
物もらってもうれしくはないので、
独立しましたとの案内などはどこにも送っていません。
それでも独立当初にもらったもの、買ったものが
居室やうちの部屋にあったりするのですが、
それがこないだもらったもの、という感覚だったのが、
そういえばあれずっとそのままになっているね、
というそんな印象に変わっていきます。
どんなふうに、独立した頃も過去の話になりました。

もちろん売り上げがなくなることもあり得るのですが、
それはつい前までは、いつでもなくなってしまうのでは
なかろうかと思っていたのが、今は何とかなるのではと
妙に楽天的になってくるのですね。
そういう気持ちの変化には、もちろん根拠などありません。
創業期が終わるというのはそういうことなのかもしれません。

今は、日々追われる仕事をこなしていくという日々に
なっているのですが、もうちょっと次の目標、というものを
立てていく必要があります。ただ立てても、そこに自分を
駆り立てていくものがなくてはならないので、
そういう目標を探すのは、じっくり考える必要があります。

ただそれも、「独立する」というのに比べると何となく
弱い感じがします。モチベーションが低下気味になっている
感じもありますので、そういうものを見つけていくのが、
今の段階に必要なことなのかもしれません。

まあ勤めていても、そこでの目標探しというのは重要ですよね。
裁量性の高い勤め人と比べれば、たぶん今の状況は
そんなには違わないのではないかなと思っています。

内閣支持率は景況指数の関数

3連休ということであまりアクセス数が増えない時期なので、
あまりそういうのを気にしないような内容ということで、
政治と経済情勢についてまとめてみます。

報道関係では、蓮舫代表の国籍問題とか、森友学園
加計学園とかあまりよくわからない批判報道が行われ、
それと前後して、内閣支持率が下がったりしています。
個別の事案についてはいいのか悪いのかわかりませんが、
数字的なものは単純化して考えることが可能です。

内閣支持率というものは、景況指数の関数です。
景気動向以外で、内閣への支持動向が変わるということは
ありません。森友や加計という話は、因果関係としては
逆の話で、景気上昇が頭打ちを迎えて、
内閣への支持がしぼみ始めた結果として出てきたものです。

見た目にわかりやすいのは株価ですが、
株価のうねりというのは、正弦関数のように単純な
波形を形成します。底からうねって天井を付け、
そしていずれ大底へ向かうというものです。
それと連動して景気も底から天井へと向かいます。
この景気動向内閣支持率は大体連動します。

安倍政権の支持率が高かったのは、景況感の加速時期と
重なったためです。過去の例では、小泉政権の時と同様です。
郵政選挙の後あたりが景気加速時期になり、これと共に
支持率が増大しました。この後、株価がライブドアショック
をはじめとしたピークアウトを起こす時期に
第一次安倍政権になり、景況感の一服感と共に、
内閣支持が大きく落ち込むことになりました。
現在の状況はその頃と重なるように思います。

もっと前だと、小渕政権の時期が景況感の加速時期で、
亡くなった森政権になった頃、ITバブル崩壊となり、
合わせて森政権が異常に叩かれます。
小渕氏がなくなった頃も、ドコモ株が何とかと、
よくわからないバッシング記事が出始めていました。
景気の踊り場に達すると、支持の拡大に一服感が出て、
それを見越したマスコミが批判記事を書くのです。

景気を上げるためには基本的には金融緩和をこれでもかと
続けることが必須になります。
じゃあ金融を緩和し続けるとどうなるかというと、
実体を伴わないバブル的な景気になります。
景気の低迷期を脱するときには、すべての人がその恩恵を
受けることになるので、その時の政治家は高い評価を
受けることになります。
しかし低迷期を脱した後の景気加速期になると、
膨張した資本の大半は一握りの人に集中するから、
支持よりもやっかみの方が大きくなるのですね。

80年代バブルが一番典型的ですが、損失補てんだ、
住専だ、というのは利益の分配を受けない
一般庶民からの批判として出てきます。
ITバブルの時だってそうでしたし、
2006年頃のライブドアショックの頃も
マネーゲーム批判が出ました。

つまりある一定の時期を超えると、景気の拡大は
むしろ一般庶民の批判の種になるのです。
これは第1次安倍政権のころもそうでしたし、
多分現政権の支持率の低下もそれが原因とみています。

その結果としてどうなるかというと、金融引き締めに
回るのですね。今はもう懲りているのでならないでしょうけど、
かつて、「銀行を懲らしめろ」という世論のもと、
そういう政策が数多くとられてきました。

こういう状況を見ると、景況感的には一服の時期に
来ているのではないかなあとも思われますが、
以前のような経済政策の失敗はしてほしくない、
とも思います。安倍政権の間は大丈夫な気はしますが、
はずみで政権を打倒して、新政権がおかしな政策を取る、
というのはあんまり少なくもないですよね。

うちみたいな零細は景気変動のあおりをダイレクトに食らうので、
政策の失敗というのは何としても避けてほしいところです。

弁理士試験の選択科目試験まであと10日

弁理士試験の一連のサイクルは、短答試験と論文試験で
一旦切れるのですが、4月に願書を出して、5月に短答試験、
と長丁場が続いた後に、必須科目が終わると
弁理士試験界隈的には試験がいったん終わった空気になります。

必須科目の試験が終わってから選択科目までの過渡期 - 弁理士うめざわブログ

長丁場の終盤ということで集中力も切れやすいのですが、
夏に入り暑くなるのも合わせてそんな雰囲気ですから、
選択科目の受験生はモチベーションが落ちやすくなります。
しかも試験会場に行っても、何となく緊張感が他の試験より
低めな感じがするんですよね。

けど弁理士試験の科目の中でどれが一番大事かと言うと、
やはり選択科目ではないかと思われます。
一旦受かってしまうと永久資格ですから、
その分の負担がかなり減ります。
必須が先に受かってしまうと、口述受験の残数カウントが
必須合格段階から始まりますから、
できれば選択科目の方を先に受かりたいんですよね。

しかし試験科目について情報も少ないですし、
模試なんてのもありません。手探り状態なので、
苦手な人は何回も落ちるようです。

自分は選択科目は1回で受かったのですが、
苦手な方に聞くと、計算問題が鬼門なのだそうです。
幾つかある枝門の最初の問題で計算間違いを
してしまうと、あとすべて共倒れのようで、
それが嫌で理系だけど著作権をあえて選択、
という話も結構あります。

やっぱり選択科目を落とすのが一番痛いので、
この時期は腹くくって頑張ってほしいです。

専門家の専門性とは、クライアントによって定義される

我々弁理士はいわゆる一つの専門家としてご依頼をいただき、
売上を立てている訳ですが、果たして本当に自分たちは
専門家として専門性を発揮できているのか?
という疑問が出る局面があります。

一番多いのは、例えばお客様が大手企業で知財部があり、
向こうの方が知識も経験もある、というような場合です。
こういうとき、向こうの指示通りに処理を
進めるということがあったりしますが、
そういう時にただの下請けではないのか、
という状況が発生することがあります。

得てして我々は専門性の高さを絶対評価
考えてしまうのですが、実際のところ、
専門性というのは相対的なものであって、
専門性を持たない相手との関係で
自分は初めて専門家たりえるのではないか
とそんな風に思っています。

例えば業界内でも一目置かれるような知識や経験
のようなものが専門性だと思われがちなのです。
一方で、知識も経験もないようなお客様との関係で、
業務をうまく取りまとめることは出来さえすれば
それで十分専門家足りえるのです。

クライアントの要望に対して
必要な解答を出すのが代理人の仕事です。
「分からない」というお客様に対して
答えを出すことができるなら、それは専門家ですよね。

ですので、逆に高度な専門性を持つ発注者の指示を
トレースするのならば、それが専門家であるか、
というと、それは専門家であるのかどうかは
疑わしいですよね。

だとすると、専門家が専門家足りえるためには、
専門外の方とのインターフェースと言うのが
大事になるのではないかと思うのです。

内輪で固まって、内輪の論理で専門性を
掘り下げるのも、確かに有用な議論もあるでしょう。
一方で、知的財産と言うものの捉え方が分からない
という、専門外の方の視点に対して、適切な切り口を
与える、というのが専門家に求められていること、
なのではないかなと思います。
基本的には「そうではなくて、こうなんだよ」
というアドバイスこそが依頼人に求めていることですから。

そしてそれを一歩進めると、どのような固定観念を、
専門外の方が持っているのかということに対して
視野を広く持っておくことが大事かと思います。
意外と知識については知っていたりする一方で、
制度の仕組みとか、論理構成、考え方、という
ものの方がなかなか理解に到達するのが難しい
ことが多かったりします。

知識ベースがない方の話を聞いて、「そう考えるか」
というのは、そういう意味で、日々新鮮だなと思います。
色んな見方に触れて、視野を広げることが大事です。

小さい特許事務所でどう求人・採用を考えていくか

一時は仕事が細ったりすると、もうこのままやっていけるのか、
と不安になったりするのですが、しばらくすると唐突に
受任業務量が増えてきたりします。
あんまり多忙になるのも、ってのもあるので、
誰か一緒に働いてくれる人がいると良いな、
ということを思ったりもします。

だからと言って安易に求人してよいのかという疑問があって、
この規模だとある程度即戦力性が高くないといけない、
というのがあります。
こだわりの高品質業務、というのは求めませんが、
色んな事があるので、なんでもそれなりにこなす、
と言うのが求められます。現状は定型性が低いのです。

要望はいくらでも考えられますが、当然それに見合った
待遇を提供しなければならないわけです。
が、現状の売り上げだと、そこから配分できる
取り分はどうしても限られてきます。
まあ人取った結果、受任業務量が増え、売上が増える、
という期待はありますが、現状の数字にはまだありません。

もっとも、待遇と言っても給料の額だけではありません。
例えば今事務スタッフさんに働いてもらっていますが、
子育てがあるので、フルタイムで働けない、
という事情があり、この時間からこの時間までと、
時間の制約があります。
それに応えられる求人と言うのも世の中多くないのと、
応募者側にそういうニーズがあるのは知っていたので、
開業前からそういうスタッフを最初に採用する、
というのは最初から決めていました。

そんな応募者像をある程度絞り込んで求人を書いたところ、
無事に事務スタッフの採用が決まり、仕事を分担してもらって
現在非常に助かっている、という状況があります。

ですから、次に求人を打つ際にいは、どういう応募者か、
ということをイメージしながら、何を応えられるか、
というものを整理しなくてはなりません。
話が違う、でもめるのが一番面倒ですし、
前職の採用でも経験したのですが、応募者像をきちんと固めて、
何を要求し、何に応えることができるか、をはっきりさせると、
採用活動も、採用後の業務分担もすぐにスムーズにいくのですね。

偉そうなこと書きましたが、もうちょっと楽をしたいなあと
そんな気持ちになる今日この頃です。