弁理士うめざわブログ

特許事務所の弁理士による、特許事務所業界ブログ

弁理士会元副会長脱税容疑で告発

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日本弁理士会の副会長を務めた東京の弁理士が、海外のペーパーカンパニーに架空の翻訳業務を発注する手口で1億5000万円あまりの所得を隠したとして、東京国税局から脱税の疑いで告発されました。

告発されたのは、東京・新宿区で「はづき国際特許事務所」を経営する亀谷美明弁理士(59)です。

当会会員の告発について | 日本弁理士会

もうすでに業界ではみなさん話題沸騰、周知の秘密となっておりましたが、業界に疎くなりかけていた私にこの情報が入ってきたのは遅く、割と最近でした。

こんなの記事にしないでねと言われておりましたが、これだけ報道されていたらもう秘密保持義務は解除だよねということで、報道内容を参照する形で記事にさせていただきます。

本事件の経緯はオフレコですが、この特許事務所自体について、もうおしまいですので知っていることを角を立てない範囲で書かせていただきます。前事務所の元同僚の1人がここで働いており、またペアを組んでいたアシスタントスタッフも非常に良い事務所と絶賛しておりました。業界のソニーショックを潜り抜け、業界の比較的先端を行く特許事務所として飛ぶ鳥を落とす勢いでした。様々な試みを試していたような話を聞いています。

一方で1億5000万円の所得の脱税で摘発かあというのは隔世の感ですね。だって弁理士と言えば一昔前は長者番付に名を連ねる方もいましたよね。知名度も高くないわが職業の名を知人の都税職員の方は「高額所得が多いから」という理由で知っておりました。高額所得はほんの一握りなんですけどね。

そんな世界でかなり儲かっている頂点の一角でこのレベルな訳ですから、摘発をされるほどに圧倒的な感じはしません。やっぱり恨まれたんでしょうね。この業界もう勝者と敗者は色濃く別れてきたことですし。うちのような完全敗者ともいうべき貧乏暇なしの零細は、業界の片隅で恐れおののくばかりです。

その意味、誰に突き上げられるかわからないので、コンプライアンスは大事にしていかないといけません。と、こんなもんでいいですよね。言えない情報が多い中で、公開情報が出てきたので記事にしました。

弁理士が独立した後に必要なこと

弁理士として実務経験を積んだら独立のことを考える方もいると思います。
また、そこまで積んでいなくても独立を検討される方もいると思います。
まず集客が一番大事ですのでそこを考える方が多いですが、
集客後の業務のオペレーションについても考えておかなければなりません。

仕事を取って来れば何とかなるかというとそういうこともありませんし、
やっぱりお客様あってのことですから、仕事をどうさばくかの青写真が
向こうに透けて見えないとお客様も心配して依頼を出せません。
なんか専門家にお任せくださいなどということを言う人を見かけたりするのですが、
その専門家が頼りになるかが分からないから不安なのですよね。

したがって業務オペレーションを初期コストをかけないでどれだけ整えるか、
ということが大事なのですが、まずは電話をいつでもとれるようにしないといけません。
独立しましたが仕事がありません、という人に限って、
なんか事務所の電話にかけても電話に出てくれないのですよね。
まあそれだけではないのですが、客先に不安を与える要素が目につき、
それを改善する気持ちもないという方が多いように思います。

飲み営業なんかにも共通して言えることですが、結局のところ、
ここに仕事出しても何も不安がないのだよな、ということが確認されて、
そこで初めて発注になる訳です。
初顔合わせですので不安が0ということもないのですが、
その不安要素を少しでも削除することが必要で、
その不安要素が少ない代理人に仕事を依頼するわけです。

これは独立に限った話ではありません。人は大きな決定をするときには、
不安を消したいというのが最大の要素となると思います。
大手を希望されるという傾向がどの仕事にもありがちなのは、
みんなが選んでいるから不安が少ない、という判断があるからです。
自分が何を基準に初見のものを選別するかを考えればわかります。
しかし、人が自分にどんな不安を持っているかというものって
なかなか気づきにくいのですよね。

この辺の不安心理を察知する客先視点の保持というのが
独立する際に必要なことでしょうか。
電話対応などの行動ってその結果として出てくるものですし。
ただまあ分かりづらいので、場数を踏みながら少しづつ改善ですね。

特許翻訳はいずれAI化していくのか

特許翻訳はいずれ機械翻訳化していくという話はもう20年以上も
前からされています。依頼側からするとコスト削減につながる
ことから待望であり、待ち望まれていたのですが、
オオカミ少年のように機械翻訳化の時代は到来せずに
長い年月が経っていきました。

ただ最近のgoogle翻訳は性能がいいともっぱらの評判なのですね。
外野の方がむしろ半信半疑で見ているさなか、
翻訳者が危機感を募らせるようなそんな出来に仕上がっている
というもっぱらの評判です。

将棋なんかも棋士には勝てないよと言われ続けながら、
とうとう追いついてしまいました。
翻訳はその意味ではそこそこの出来でよいのですから、
出来上がってきてもおかしくないですよね。

AIの何が凄いのかということをAIについて
専門知識を持つ人に聞いたら、アルゴリズムに飛躍的な
発展があったというよりも、単にマシンの性能が上がったと
そういうことなのだそうです。将棋AIなんかも
スーパーコンピュータを何台もつなげてやってましたよね。
それ将棋の天才を何百人も集めて、いろんな資料を並べながら
じっくり考えるのを、コンピュータは早いのが取り柄だから
時間をかけるのではなく早くやってるだけなのでは、
ということを漠然と思いました。

特許翻訳の場合は、原文と翻訳文が大量に世の中に検索可能に
公開されているので、処理能力さえあれば確かに理屈の上では
そうなるのかなということにはなります。
単体PCでそれをやるにはさすがにスペック不足だろうとなりますが、
googleが高性能のサーバを使ってせっせと蓄積していったら、
いずれ実現できてもおかしくない感じはあります。

ただそんなこと言ってもね、というのは長いこと実現されて
来なかった側からするといまいち信じきれない面があります。

新しいテクノロジーが導入されたとき、いち早く飛びついた人は
いち早く前に進むことができます。しかしながら大多数は
いつまでも飛びつかないわけですので、時代の変化はそこまで
急激にはなりません。ITも浸透しているところは浸透しているし、
浸透していないところはしていないので、
AIもそんな感じだろうと思います。
ただ先行者のアドバンテージはあるはずなので、
なんとなく情報は追っておいた方が良さそうですね。

専門外の人が弁理士などの専門家に依頼をするときのハードル

弁理士として業務をやっていると、依頼人の方は気軽に
連絡してくれればいいのにとか、相談には乗りますという
方は結構いるのですが、一方で依頼人側にとってみると、
実際のところハードルは高いようです。
そのハードルの高さを解消するために、親しみやすさを
強調したり、弁理士なのに意外に、等という側面を
強調したりするアプローチがあるのですが、
実際のところ、それは依頼人側からすればそれは
ハードルの高さを解消するものではありません。

一方で、依頼人からすれば、依頼事項について専門的知識
を持っていなければ困るという側面はありますし、
その点において専門的知識があるんだぞと強調することは、
それ自体は確かに間違ったことではないのですが、
非専門家である依頼人が求めている一番重要なことは
そういうことではありません。

こういうのって自分が馴染みがないことを依頼する側に立てば
簡単に気づくことなのですが、客側の感覚に対して
あうんの呼吸で答えてほしいという側面が一番重要です。
専門家としての視点は重要なのですが、
非専門家側の視点もまた重要ということです。

依頼業務に馴染みがない依頼人は、こんな話で伝わるのかわからない、
こんなしょうもないことを言って嫌がられないか、とか、
若しくは全然話が平行線になって、変なことを丸め込まれて、
全然見当違いな、費用に見合わないことを提供されないか、
そういうことを懸念しています。
とともに、よく分からない費用をつけられたりしないか、
思いもかけないほど高い費用になったりしないかとか、
そういう心配が出てくるはずです。

そのことは、弁理士と良く間違われがちな便利屋への依頼を
考えてみても分かるでしょう。
自分の抱える問題点をちゃんと解決してくれるのか、
思いもかけず高い料金になったりしないかとか、
そういう心配があると思います。
その辺「便利屋」という、何を依頼してもよさそうな
名前であることで心理的なハードルを下げています。

結局のところ、集客の上で重要なのは、依頼人側が
何に躓いているのか、何に困っているのかを熟知することです。
依頼人は案外同じようなことで困っています。
そこに対する答えを持っていますよ、
気軽に質問してくださいね、というのが
相手に対するハードルを下げる行為です。

決してけん玉が得意であることをアピールすることではありません。
(具体的に該当する人は存在しないと思いますが、
 もし該当する方がいがたらごめんなさい)
親しみやすさとは、意外性ではなく、相手の期待に応えることです。

弁理士の訃報とかを見て思うこと

弁理士会の電子フォーラムやMLには頻繁に訃報が流れてきます。
多くの場合は年配の方だったり、その関係者だったりで、
まあ年を取ればいずれ亡くなるだろうなあということで、
もちろん関係者であれば悲しかったりするのでしょうが、
良く知らない方が年を取って亡くなることにはあまり感想がなく、
ちょっとメールが多すぎるのではないかと不満を持ったり
する程度でした。

なのですが、弁理士登録して何年もたつと、同世代・同時期の登録、
つまり同じくらいか若い、知っている人が亡くなるという話が
入ってきたりします。
もちろん若くても一定の割合で人は亡くなっていきますので、
知人の数が増えれば増えるほど、そういう人は一定の割合で
出てきます。ええっ、と話を聞いて驚きますよね。

大学時代のサークル関係でも、割と浅く広い知り合いがいるのですが、
ものすごく久しぶりにその集まりに出たら、誰々と誰々が亡くなった、
という話を聞き、諸行無常なことを思ったりしました。

そんなことをしているうちに自分の年を取っていくわけですので、
亡くなっていく人はこれからもぽつぽつ出ていくのでしょう。
年配の人の名前が出て、自分から見たらだれこれ知らない、
という人も、ある別の人たちからすれば大きなニュースです。

何よりも思うのが、自分もそんな風に突然亡くなったら
人に迷惑かけたりするだろうなということなのですが、
亡くなった人はいろんな事情があるのでしょうが、
何か予兆とかあったのか、突然だったのか。
自分の感覚だと大きな出来事というのは突然起こるものではなく、
何か予兆がひたひたと忍び寄ってきてあるとき無理をしたときに
その影に包み込まれるようなそんなことを思っています。
個別の具体的な事情は分からないですが、
そういう予兆は招き寄せたくないなと思っています。

特許実務でも、事故は突然起こるというよりも、小さなミスの
積み重ねで起こるのだろうなあと考えるので、
そういうミスは事前に防がなければなりません。
そんな無理やりな形で話題を締めてみます。