新宿西口国際特許事務所の弁理士うめざわブログ

新宿西口で特許出願・商標登録を代理する弁理士による、特許事務所業界と弁理士試験のブログ

勤務弁理士と独立弁理士はここが違う

勤め人と独立している人というのは何が違うか、
なんてことを書くと何かすごくドヤってる感じがして
微妙ではあるのですが、やっぱり着眼点の違い
というのはある気がするので、その辺をつらつらと
書いてみたいと思います。

サラリーマンってやっぱり人からの評価というものが
軸になってきますよね。もちろん長い目で見ると、
人からどう評価されようが自分のスタンスを貫いた人が
最終的に上に来たりするようなことがあったりして、
そういう面白さもあったりしますが、
基本的には、70点の人は60点の人より偉い、
という世界観の中で生きています。

評価する人というのが明確に存在して、
その評価する人の評価を気にしながら仕事をします。
もちろん日常的には気にし過ぎてもしんどいのですが、
その辺の自分の評価軸と、上司や取引先の評価軸に
ずれがあると、赤ちょうちんで「あのバカ上司が」
とかそんなことを言いたくなるわけですね。

じゃあ独立開業すると違うの?となるのですが、
違うんですよ。でもお客様からの評価ってあるのでは、
となるのですが、経営者視点でのお客様の評価、
というのは絶対ではなく、単なる相性でしかないんですよね。
もちろん最低基準の仕事というのは存在しますし、
品質が大事であるのは間違いないのですが、
この代理人に依頼したい、というのは
そういう基準じゃないんですね。

では何か、と言ってもいろんなものがあると思うのですが、
一番評価軸として大きいと思うのが、お客様の仕事、
依頼者の抱えている問題点や状況を理解する能力だと思うのです。
その辺の状況把握ができれば、専門性という観点では、
こちらの方が専門家なので、あとはお任せ、という話になります。
どっちかというと金銭面のああだこうだがメインになりますね。
まあ勤務弁理士でもお客様の技術分野の理解が深ければ
評価は高いと思いますが。

それも評価では、って話になりそうですが、そうではなくて、
0か100かで割とはっきりと白黒でやすいんですね。
相対評価ということになりにくい。まあ相見積になったら
相対評価ですが、お金のところくらいですよね。
相対評価になりにくいあたり、昔からやっている人が有利
っていう先行者利益が生まれやすい土壌もあるのですが。

相手のことを理解していることが大事、ということを
一歩進めると、特定に相手に対して明確なメッセージを発する、
ということが大事になってきます。
そのメッセージを受け取った側が、これは自分のことだ、
と思うとそこに共感が生まれます。
信頼関係、というほど大層なものではなく、まあこの人なら
大丈夫だよね、と思える程度の安心感を広げていくことが
営業活動になっていきます。

特定の相手にメッセージを発するためには、
相手が目の前にいるのが一番わかりやすいのですが、
下準備段階ではそれは無理です。
1回会っただけでどれほど分かり合えるかも疑問です。
見えない段階から相手を探し出していく作業が出てきます。

そういう意味で、最終的に決めるのはお客様なのですが、
ある程度能動的な作業になってくる面が、
独立して仕事をやっている人の場合出てきます。
「自分は、こう」というのがはっきりしないと
打ち出すのも難しいですし、そういう結果として、
独立弁理士の営業活動は「人それぞれ」という面が色濃く出ます。

つまり、自分の意志で何かを選び、そこにフォーカスする、
ということが大事になります。それって特定の相手に評価される
ことが中心になる勤め人とはかなり違いが出てくると思うのです。
その結果として、努力していかなければならない方向性は、
かなりガラッと変わっていくのですね。
その結果、「やってみよう」という部分が多くなります。
そこに人の承認を得る必要がない分、今度は片っ端から
やっていかなければならなくなっていきます。

一方で勤務弁理士の人が、「英語を勉強する」とか、
「外国法を勉強する」とか、あとは司法試験を目指すとか
そんな方向になりがちなのは、多分人から評価される、
という世界観の中で生きているからだと思うのですね。

自分もまあそうだったので、例えばTOEICの勉強に励んだ時期も
あるのですが、独立して何が必要かが見えてくると、
評価されるための努力というのがあまり重要じゃないな、
ってなってきて、努力のリソースを配分する方向性が
明らかに変わってきました。

なので、独立するなら、結局違うルールの世界に移ることになる
という観点からも、早く独立した方がよいのかな、
という結論になるのだと思います。

自分がこんななのも、自分のカラーが必要だからという面があります。
自分らしさも出てきたようで、あまりはっきりとしていないようで、
まだまだこれからです。