弁理士うめざわブログ

特許事務所の弁理士による、特許事務所業界ブログ

ゲーム特許の昔話

弁理士うめざわへのお問い合わせ先:
リンク先はタイトル下と、右側のプロフィール欄にあります。

------------------------

さらに前回の続きです。
http://patintl.hatenablog.com/entry/2014/08/30/173723

カプコンコーエーの話をこれまで2回にわたって
続けてきたのはこの話をしたかったからなのですが、
前提の話だけで話が長々と続いてしまいました。
この話題で私が特に食いついたのはこの部分です。

【出願日】平成6年12月9日(1994.12.9)
【登録日】平成14年9月20日(2002.9.20)

特許と一言で言っても時代時代で取り扱いが変わります。
20年もたつと、プロパテントだったりアンチパテントだったり
しますし、技術分野ごとに取り扱いも相当に揺れます。
その中のゲーム特許に関する取り扱いについて語ってみます。
その前にその時代のソフトウェア特許全般から。

この出願日から登録日までの1990年代末期の頃は、ソフトウェア特許
どういう風に扱うかでかなり議論が右往左往してました。
まあ今も右往左往してないとは言わないですが、ソフトウェアが単体で
装置から分離して流通するという形態をどう保護するか
という議論が活発化してきた時期です。
2002年といえばビジネスモデル特許ブームの時代です。
特許業界の人的には懐かしく思う人もいるのではないでしょうか。

厳格な意味でのソフトウェア特許は70年代ごろにはもうあったそうです。
でも装置と一体化されたソフトウェアとして保護すれば十分だった時代です。
構成要件が構造物ではなく無体物に切り替わっていた時期ですね。
そして流通形態までが無体物になり始めて、いかがしたものかと。
日本ではまず記録媒体クレームになって、それからプログラムクレームに
なりました。伝送波なんて保護形態なんかも議論の俎上に上りました。

そんでもってゲーム特許なのですが、ご存知の通りこれは完璧に
ソフトウェア単体で流通するものですね。プログラム・媒体クレームは
保護されない時代だったので、間接侵害でどうかといいながら、
実際はほとんどそんな特許出願はなかった時代です。
そういえば弁理士試験でも航空券のシステムの特許が云々かんぬん
という論文試験が出たのもこの頃でした。

そして、任天堂のような会社は特許をちょろちょろ取っていたものの、
ソフトハウス系のゲーム特許は全くなく、しかしながらこの頃の
業界の動向を受けて、何かしら対策を立てないといけないね、
というのが大手のソフトウェアメーカーの間で横並びに進んでました。

そして時系列が前後しますがこの前くらいにセガが米国の特許訴訟で
大敗しました。それでメーカーから人材の引抜きをしながら
知財への体制を整えていきます。当然特許出願もするわけですが、
「3DCGの画像切り替え特許」なるものが上記の時期に成立しました。
これはスイッチの切り替え入力を受けて、3Dボリュームデータを
あるカメラからレンダリングしていたところ、他のカメラから
レンダリングに切り替えるというないようです。
ちなみに特許査定のクレームはスイッチの限定が入っていません。

カメラ位置を切り替えて3D画像を表示するってそれCG技術そのもの
って話なのですが、それで特許が成立してしまったのです。
ちょっとちょっとそれどうなの?ってことで業界騒然となったのですが、
まあこの頃は業界ものどかだったので、社長同士の話し合いで
話題になりながらもこれでもめるという感じではなかったのですが
こんな特許はけしからんということで同業他社必死で
みんな異議申し立てをしてました。

どうしてこんな特許が成立したかというと、上で話したように、
そもそもゲームの特許出願がない、したがって公開公報がない、
ということです。先行技術文献がありません。
ゲームなので技報のようなものもありませんし、学会発表もありませんね。
審査官も困ってしまうわけですよ。しかも時代背景的に、
ソフトウェア特許を守っていかなければならない雰囲気。
特に日本のゲームソフトは世界に打って出ていくべき存在ということで、
非常に扱いに困る頃でした。

実際特許を潰そうにも、何もないのでファミ通とかそういうのを
探すわけです。ゲーム会社は社内資料をそんなに取っていないので
社内の資料もないし、出版系はまああるかなということで
あちこち回ってそれっぽいのを整えたという感じでした。

審判官もなんとかしなくてはと思ったらしく、立てていたダミーの
申立人に連絡が入ったりしてこっちも困ったりしたのですが、
セガの代理人が処理が下手なこともあってクレームに無駄な限定が入って
もうこれで一安心という結果になりました。

さて本題に戻りますが、今回のカプコンの特許はそんな時代の特許出願です。
業界的に特許とかどうなのとかいいつつ、でも開発成果は特許で
守っていかないとね、という議論が各社起こっていた時期です。
各社とも乗り気にはなりきれないながらも、どさくさにまぎれて
特許になってしまったという時期の出願であり、特許です。

おそらくカプコン的にもこれを振りかざすのはどうなのという判断は
あったのではないかと予想します。その結果が存続期間満了ぎりぎりの
権利行使です。訴訟の進行的に差し止め請求にはならないですよね。
差し止めはあまりにも粗相と思ったのではないかと予想します。
まあお金になればよいし、うまく有利な条件を引き出せれば良いね
という感じなのではないでしょうか。

ある意味パテントトロール的といえなくもないし、そういう部分に
ゲーマーさんは非常に反発している面もあるでしょう。
その一方で、カプコンは上記時代背景を勘案して最低限の準備をしていた。
一方コーエーテクモ無防備状態であったともいえます。
業界で特許対策が問題となったのはこの出願の時期であったはずなので、
不意打ちを主張するのは事業家としては準備不足です。

特許の原則に立ち戻ると、先願主義が採用されていて、
これは言い換えれば早い者勝ちです。
カプコンは早いうちに手を上げて、特許取り放題の時期に特許を取った。
コーエーテクモ無防備であったと、それだけとも言えます。

とはいえ何だかんだで善意が働いているように思えて、
グリー対DeNAのような生臭さがないのが昔の会社だなと思います。