弁理士うめざわブログ

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選挙に行くことの意味

今回の都知事選については記事も作ってみたんですが、
どっちがいい良くないって色合いが出てしまうので、
それは微妙かもということで載せるのをやめました。

ただ、その前提としての選挙の意味というものについて、
あまり理解が適切ではないのではないかと思いました。
まあ自分の理解が正しいかというとそれも微妙ですが。
そして、そもそもなぜ選挙という制度になったのか。

根本的な間違いとして、選挙制度、民主主義は
最も優秀な人物を選ぶための制度ではありません。
会社の人事なんか思い出せばいいでしょうけど、
多数決で選んだら、好き嫌いが先行しすぎて、純粋に会社を
成功させるような優秀な人物なんて選ばれないですよね。
選挙って本来そういう制度です。

選挙制度が導入する前はどのような制度だったか?
欧州なんかではフランス革命のように、
基本的には武力による体制転換でした。
日本も幕末は戊辰戦争ですね。
体制転換のたびに武力衝突なんて大変です。
武力衝突なんてやっても、どちらが力が強いか、
以上にどちらが世間から支持を得ているか、
によって勝敗が決まるので、どちらが支持を得ているかを
投票によって計ろうというのが民主主義の走りなんじゃないか
と自分は理解しています。

あと最近ではAKBの選抜総選挙なんてのがあります。
あれは誰がセンターポジションかなんて、こっちからすれば
どうでもいい話ですが、当事者にとっては一大事です。
また1人1人にファンがついていることから、
そこに感情的なしこりが出てきます。
なら投票やって一位をセンターにすればいい、
と秋元が言い出して始まったのがあの制度です。
政治とは違うと思うかもしれませんが、
経緯としては似たり寄ったりだと思いますよ。

結局陣営の間の納得感の問題なんですよね。
候補者本人も、その支持者も支持する候補者が一番だと
思っています。どう納得させるかなんて、客観的な
事実を突きつけるしかありません。

どちらの陣営にも属さない立場からしても、
積極的に候補を出さないとしても自分の頭を決めるわけだから、
勝手に決めてもらっても困るわけです。
その辺の折り合いをつけようとすれば選挙しかないですよね。

多数意見を集約して、これで納得しろよ、ってのが選挙です。
優秀な人物を選抜する仕組みではありません。
政策で決める必要なんてありませんし、好き嫌いで十分なんです。
大体みんな政策なんて分からんでしょうが。
よく考えて決めた人の1票がその場の思いつきで
決めた1票よりも価値が高いなんてことはありません。
当事者の意見の集約でしかありませんから。

したがって多数派形成こそが政治の本質なのであって、
政党なり、政党外でも似た意見を持つ人の集まりだったり、
そういう意見が優先して採用されるのも当然の成り行きです。
多数派形成することもなく、持論を一方的に開陳して、
だから今の政治はダメなんだとかいいながら投票にも
行かない人の意見なんて傾聴に値しません。

制度としての選挙制度が政府により担保されている以上、
投票に行かないというのは当然のことながら
白紙委任ということになります。白票も同じこと。
明石家さんまさんが、政治に不満がないから選挙に行かない、
と申しているとどこかで読みましたが、そういうことです。

あえて言うと、自分の属性を単純化して、その属性の人間が
典型的に投票するのは誰か、という方向に従えば、
その属性としての票のバルクは大きくなる訳なので、
その投票行動は自分に帰ってくるかなあとそんな気はします。
誰に投票したらよくわからんというときは、
そういう人に入れます。

まあ基本的には好き嫌いなんじゃないかなあと思うんですよね。
能力的なものより、信用できるかどうかの方が大事ですし、
それって結局好きか嫌いかに反映されてく話でしょうから。
誰がいいかなんて任命してみないと分からない話だし、
うーん、ってなったときにあいつなら仕方ないか、と思える人を
決めるってのがそもそも多数決の本質だと思うんですよ。