弁理士うめざわブログ

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特許調査と検索の簡単な方法

特許調査と検索の簡単な方法を紹介するサイトを作成しました。

特許調査と検索の簡単な方法 - 東京都新宿の梅澤国際特許事務所

案件のお問い合わせをいただくと、まず特許調査になるのですが、
特許庁のデータベース、jplatplatに到達される方が
非常に少ないように思われます。

ちょっと検索すれば出てくるようなものについては、
ご自分で調べたほうが良いよなあと思うのですが、
操作法を調べるのも面倒ではあると思うので、
簡易版の方法についてまとめました。

これからはまずこちらで、と案内するようにしようかと。

特許事務所の事務スタッフの割合

特許事務所、事務、割合、などという検索ワードが、
検索流入ワードで入ってきているのがあって、
そういうのが知りたいのかなあと思って
こんな記事を書いてみました。

色んな職場を見ることも多くはないでしょうから、
今所属の特許事務所ではこうなんだけど、
よそは実際のところどうなんだろうという
感じなんだと思います。

まあ比率的には、技術スタッフ:事務スタッフ=2:1
というのが標準的かなあと思います。
技術スタッフも、弁理士:特許技術者=1:1
くらいとすると、弁理士=特許技術者=特許事務、
という人員比率になるかと思います。

これを基準にしてうちは多い少ないというのは
個別に事情が発生する話でして、上記の例は、
国内業務の比率が標準的な特許事務所の場合になります。

受任案件がほとんど外国案件のような特許事務所だと、
技術スタッフ:事務スタッフ=1:1よりも、
やや技術スタッフが多めくらいになるそうです。
外国案件の比率によって、事務スタッフの数が
増減するわけですね。

あと、この他に翻訳スタッフや図面担当がいたりしますし、
経理担当がいたり、大きいとこだとシステム部とか
あったりします。スタッフの業務も技術と呼ぶべきか
事務と呼ぶべきかという境界線に近い方もいるでしょう。
標準的な内訳だと上記の感じになるかと思います。

商品サービス名称の決定で、適切でないなと思うこと

あまり内容を吟味してるとブログの更新が滞るなと思って
思いつくままに書いていったら、選挙とか微妙な内容
ばっかりになってしまったので、今回は弁理士の仕事と
ある程度関係することを書いてみます。

弁理士として特に関与するのは商標登録の際ですが、
このときに商品名はこれです、という提示を受けます。
本当は商品リリース前に商標を確保しておくほうが
良いのですが、現実には商品名は確定していて
既に出ており、これでどうしても取ってほしい、
とオーダーを受けることが多いです。
完全一致がない限り、それでいくことになります。

その時に微妙だなと思うのは、普通名称を商品名に
することです。もちろん、その商品の普通名称は
商標登録できないのですが、商品との直接的
関係性がないものは登録できます。
例えば、コンピュータについて「アップル」等です。

しかしながら、基本的に普通名称で短い単語、
というのはもう商標登録されている可能性が
高いのですね。ありがちな名前というのは、
同業においては集中しがちです。
特に美容院なんかは、日本全国で名前を列挙して
いったら、かなりの数が重なります。
お互い様なら良いですが、誰かが登録してしまったら、
もう他の人は使うことができません。

弁理士としてはこういう立場の意見になりますが、
そもそも、他の人と重複が生じるようなネーミング
ってあまり好ましくないのでは、と思います。

造語ではなく既に存在する単語は、その単語により
イメージが形成されているわけです。
新しいサービスを提供するにもかかわらず、
その既存のイメージに乗っかろうという訳ですから、
名前を付けている時点で既に独自性がありません。

例えばあるサービスにメロンと名付けたとき、
メロンという食べ物のイメージに
乗っかっている訳です。

独自性の高い商品を思い起こすとき、その多くは
ネーミングにおいても独自性が強いですよね。
アップルだけはネーミングセンスが最悪ですが、
それ以外は大体造語を採用しているように思います。

世の中に新しい価値を提供するとすれば、
それを表現する言葉もまた、新しいはずです。
既存の単語のイメージに乗っかっている時点で、
既に新しい価値を提供していないように思うのです。

その結果、単語が冗長となってしまっても、
大衆に受け入れられた商品名には略語がつきます。
略語として流通すればよいのですし、
その略語は当然独自性が強いとともに、
語感のよいものが選ばれます。

弁理士としては当然ネーミングの段階で
商標登録を促すのですが、
こういうネーミングにしておけば、
商標登録が遅れたとしても、人と重複する
リスクは大きく減ることになります。

商品サービス名の決定は、そのままマーケティング
段階へも直結するものであることから、
商標とかは別にしても十分に独自性の
強いものかどうか、検討されたほうが良いのかな、
とそんな風に思います。

都知事選は小池候補が組織選挙を駆使して勝った模様

2016年都知事選は小池候補の地滑り的圧勝となりました。
まあ票読み的には保守分裂選挙であり、単なる内輪もめの
域を出なかったようなのですが、報道されている
内容に違和感があるのでそこちょっとまとめてみました。

下馬評的には組織らしい組織を持たない小池氏が
組織型選挙を繰り広げる増田、鳥越候補に挑んだ、
とう部分なのですが、これは全く逆ですよね。

東京10区の選出代議士である小池氏は、
地元に支持団体を持っています。
配下の都議や区議もいますし、分裂選挙なので
全員ついてきたかは分からないですが、
ある程度はついてきたものと思われます。
地元になりますので、参謀等の手兵を
そのまま動員した上での選挙となります。

これに対して増田氏は落下傘です。腹心を連れてきたか
は分かりませんが、土地勘がありません。
というか、選挙から離れて長いので、実戦部隊は
抱えていないでしょう。
自民党都議団は一応味方でしょうけど、
中核部隊を構成するメンバーは終始いなかったはずです。

これは鳥越氏についても同じことです。
民進・共産は支持したでしょうけど、そもそも選挙を
やったことがない鳥越氏を支える中核部隊はいません。

政党お抱えになれば、確かに人海戦術をとることは
可能になりますが、それが中枢部門になるかというと
別物ですよね。票を集めるのは人をつなぐことです。
中心になって意思疎通を図る人材が結局足りません。

この辺選挙に少しでもかかわった人なら
すぐにピンと来るはずです。
いかに報道関係が素人か、雰囲気で語っているか
ということになります。

最近は他の県知事を経験して都知事を目指す動きが
あるのですが、それがうまくいかないのは、
所詮地元ではないからというのが大きいのでしょう。
知事選を経験すると、人を動かすことに慣れますが、
お国替えになるので、勝手が変わります。


イメージ戦略として、組織のないしがらみのない候補
というのを打ち出しましたが、それだけで選挙は勝てません。
無党派vs政党お抱えは、よほど政党側の候補がひどい場合に
打ち倒す事例は見かけますが、それでも僅差になります。
最近の選挙ではほとんど見かけません。
この数字になるのは、相手陣営を切り崩すことに成功した、
とみるのが妥当でしょう。

自民党の支持率も低くないし、無党派を総決起させる
ような政策ファクターがあったようにも思えません。
争点となったのは誰が嫌いか誰が気に食わないか。
単純化するとそれ以上の話はどこにもありません。

今回も、単純に自民党支持層を切り崩していったという、
昔から幾度と繰り返されてきた保守分裂選挙が、
今回も似たように繰り返されただけということです。
田舎の市長選や村長選ではよく見る構図です。

要するに小池氏は気に食わんと言った都議のドンに
小池氏がたてついたら、その内田都議に反感を
持っていた勢力が小池サイドについたという話です。
この流れで石原氏・内田氏と、小池氏のどちら陣営に 
つモチベーションが高いかは言うまでもありません。
そうやって地盤の支持団体をベースに、半内田勢力を
集合させていったわけなのだから組織選挙以外の
何物でもないじゃないですか。

選挙の際に無党派の力なんて大して強くはありません。
その辺錯覚させるような報道をすると、変に勘違いする
人が出てきてあまりいいことでもないように思います。

小池氏の出馬決定はあれより前ではダメで、
後では遅すぎたことから、絶妙のタイミングでした。
日本新党に手を挙げたとき、郵政選挙のときと、
今回もまた見事な勝負師っぷりを見せたようです。

ちなみに政策とかはどうでもいいです。
選挙に政策などなんの影響も及ぼさないでしょう。

選挙に行くことの意味

今回の都知事選については記事も作ってみたんですが、
どっちがいい良くないって色合いが出てしまうので、
それは微妙かもということで載せるのをやめました。

ただ、その前提としての選挙の意味というものについて、
あまり理解が適切ではないのではないかと思いました。
まあ自分の理解が正しいかというとそれも微妙ですが。
そして、そもそもなぜ選挙という制度になったのか。

根本的な間違いとして、選挙制度、民主主義は
最も優秀な人物を選ぶための制度ではありません。
会社の人事なんか思い出せばいいでしょうけど、
多数決で選んだら、好き嫌いが先行しすぎて、純粋に会社を
成功させるような優秀な人物なんて選ばれないですよね。
選挙って本来そういう制度です。

選挙制度が導入する前はどのような制度だったか?
欧州なんかではフランス革命のように、
基本的には武力による体制転換でした。
日本も幕末は戊辰戦争ですね。
体制転換のたびに武力衝突なんて大変です。
武力衝突なんてやっても、どちらが力が強いか、
以上にどちらが世間から支持を得ているか、
によって勝敗が決まるので、どちらが支持を得ているかを
投票によって計ろうというのが民主主義の走りなんじゃないか
と自分は理解しています。

あと最近ではAKBの選抜総選挙なんてのがあります。
あれは誰がセンターポジションかなんて、こっちからすれば
どうでもいい話ですが、当事者にとっては一大事です。
また1人1人にファンがついていることから、
そこに感情的なしこりが出てきます。
なら投票やって一位をセンターにすればいい、
と秋元が言い出して始まったのがあの制度です。
政治とは違うと思うかもしれませんが、
経緯としては似たり寄ったりだと思いますよ。

結局陣営の間の納得感の問題なんですよね。
候補者本人も、その支持者も支持する候補者が一番だと
思っています。どう納得させるかなんて、客観的な
事実を突きつけるしかありません。

どちらの陣営にも属さない立場からしても、
積極的に候補を出さないとしても自分の頭を決めるわけだから、
勝手に決めてもらっても困るわけです。
その辺の折り合いをつけようとすれば選挙しかないですよね。

多数意見を集約して、これで納得しろよ、ってのが選挙です。
優秀な人物を選抜する仕組みではありません。
政策で決める必要なんてありませんし、好き嫌いで十分なんです。
大体みんな政策なんて分からんでしょうが。
よく考えて決めた人の1票がその場の思いつきで
決めた1票よりも価値が高いなんてことはありません。
当事者の意見の集約でしかありませんから。

したがって多数派形成こそが政治の本質なのであって、
政党なり、政党外でも似た意見を持つ人の集まりだったり、
そういう意見が優先して採用されるのも当然の成り行きです。
多数派形成することもなく、持論を一方的に開陳して、
だから今の政治はダメなんだとかいいながら投票にも
行かない人の意見なんて傾聴に値しません。

制度としての選挙制度が政府により担保されている以上、
投票に行かないというのは当然のことながら
白紙委任ということになります。白票も同じこと。
明石家さんまさんが、政治に不満がないから選挙に行かない、
と申しているとどこかで読みましたが、そういうことです。

あえて言うと、自分の属性を単純化して、その属性の人間が
典型的に投票するのは誰か、という方向に従えば、
その属性としての票のバルクは大きくなる訳なので、
その投票行動は自分に帰ってくるかなあとそんな気はします。
誰に投票したらよくわからんというときは、
そういう人に入れます。

まあ基本的には好き嫌いなんじゃないかなあと思うんですよね。
能力的なものより、信用できるかどうかの方が大事ですし、
それって結局好きか嫌いかに反映されてく話でしょうから。
誰がいいかなんて任命してみないと分からない話だし、
うーん、ってなったときにあいつなら仕方ないか、と思える人を
決めるってのがそもそも多数決の本質だと思うんですよ。