弁理士うめざわブログ

特許事務所の弁理士による、特許事務所業界ブログ

弁理士試験に一発で受かったというのには価値がない

さてこれから弁理士試験シーズン突入です。
受験生は一番勉強が乗っている時期ではないかと思われます。
この試験にとって一番大事なことはなんであるか、
ということは言うまでもなく合格することです。
合格不合格のみが判定される試験と言うのは、
入試なんかもそうですが、受かることに価値があり、
その過程と言うのはあくまで付随的なものに過ぎません。

受かることにのみ価値があるのですから、
弁理士試験の受験年数は短いにこしたことはありません。
表題と逆のことを書きますが、1年勉強して
一発で受かるのが一番いいに決まっています。
それは、最も労せずして成果を得ることができるから、
ということに他なりません。

なのだから、弁理士試験に幸運にも一発で受かった方は、
合格した瞬間に弁理士試験のことを忘れて
次のステージに進むのが最も合理的だと思うのですね。
どこかの受験機関で一発合格を売りにした講座が
あったりしますが、あれって一番意味が分かりません。

一発で受かるというのはある程度運も左右してきます。
その結果として、知識量としては、数年受験した方
よりも、どうしても下回る部分が出てくるでしょう。
その苦労して獲得した知識と言うのは
実務であまり重要であるとは思わないのですが、
受験機関の講師なら、いろんな背景知識をおさえて
置かないといけない訳で、ある程度苦労して受かった方
の方が講師としては優秀な気はします。

そういう不利があるのですから、一発で受かった方は、
幸いにも受験に関与しなければならない年数が少なくて
済んでいるのですから、いつまでも受験界に残るのは
あまり意味がないと思う訳です。

というのが1つと、コンテンツとしてみたときに、
弁理士試験に一発で受かりました」というのは
あまり関心を集めないと思うのですね。

コンテンツとして価値があるのは、「弁理士試験を
10回受けて、10回目で受かりました」という話題です。
これは注目を集めるでしょう。
世の中の皆さんは格好つけて、その格好良さを
コンテンツにしたがりますが、そんなものに価値などありません。

キリのいいとこで10回を例に挙げましたが、
弁理士試験、これで20回目です」と言うのも
注目を集めるでしょう。
弁理士試験を10回受け続けるなんて、一体どういう生活を
続けてきたのかは興味津々です。
まあ惰性で受け続けている人は時々見ますが、
そこから10回目で受かりました、というのはあまり聞きません。

なんなら、口述試験に3回落ちて、再度筆記試験を受けなおして、
改めて弁理士試験に受かった話、というのも
興味深いですね。知っている人にそんな人いますが、
そういう方の話は聞きたいでしょう。

ただし、一番関心を集めるのは、
口述試験に3回落ちて、再度筆記試験を受けなおして、
改めて筆記試験に受かって口述試験に落ちた、
という話です。世間とはそんなもんです。

格好つけて、その格好良さにより有名になりたい人は
世の中あふれていますが、そういう面白い系の人は
世の中依然として足りていません。

最終学歴中卒で弁理士試験に受かった、と言う方が
一時話題になりましたが、その成功談に関心が向くか
というと、そんなのありきたり話です。

弁理士登録の書類を揃えて持っていきましたが
受理されませんでした、とか、
軽く嫌味を言われました(言われませんけど)、とか、
登録されていない証明書を取ろうとした実は登録されてました、
とか、そういう話を世間は求めているのです。

人ごとだと思って適当書きましたが、
人が関心を持つのはもっと下世話な話だよと、そんな話です。

特許事務所の転職事情に疎くなった理由

最近の特許事務所の転職事情について、疎くなったなあと
思うのですが、その理由をいくつか考えてみました。

・自分自身が転職を考えなくなった
勤めているときは転職を想定して他の事務所を見たり
していましたが、独立して3年たって、自分はもう
これでやっていくんだ、と言う感じになってきました。
なので、そういう情報を取らなくなってきました。

弁理士界隈の集まりにあまり顔を出していない
仕事に追われているのと、空いた時間にも
業界外の集まりや、友人と会ったりしているので
あまり時間が無くなりました。
独立すると、業界内よりも業界外の人の方が
会う必要性は高まります。

いやまあ弁理士コミュニティの中での情報収集は
結構大事なのですが、色んなことに追われて
すっかり疎かになってしまいました。
会って話を聞けばいろんな情報も出てくるんでしょうけど、
聞いていないので情報から疎くなってしまいました。

ホワイトがずっとホワイトということもないし、
ブラックがずっとブラックという訳でもないようなのです。
その辺の変化に以前はもっと敏感だったのですが、
最近は「え、そうなの?」という状況です。

・極端なブラック、極端なホワイトが減って、業界が均質化している

まあこれが一番大きいのですよね。
極端なブラックでは優秀な人材はやめますし、
人を育てる能力がなくて、育ってもやめていきます。
そういうとこは対顧客でもなっていません。
衰退して人をとれる状況にもなくなります。

顧客側からの代理人選別が進んできたので、
舐めた特許事務所は存続が難しくなっています。

単純に待遇が悪かったブラック特許事務所は、
業界内部の他事務所の動向を見ながら鞘寄せしてきました。
なので、衰退するか改善するかが進み、
業界全体としての底上げは進んだような気がします。

一方でホワイトはと言うと、こちらも見つからなくなったような
気がするのですね。競争の激化で濡れ手に粟の商売が
いよいよなくなりました。大盤振る舞いしていた特許事務所
と言うのもかつてはあったのですが、時代は変わります。

勢いのある特許事務所と言うのは当然ありますが、
事務所に勢いがあるのであって、そこに入って待遇が
良いかは分かりません。

なので、人からどこの特許事務所に入ればよいか?
を聞かれたときに、ちょうど良い回答が出しにくいのですね。
かつては、ここはアンパイというのを情報として
押えていましたが、世の中変わるなあと言うのを思っています。

あえて言うと、安定志向か独立志向か、
高収入型か定時で帰れる型か、
そういう観点で転職先を模索する感じに
なるかもしれません。
価値観の多様化というやつです。

裁量労働制とブラック特許事務所

そういえば裁量労働制がニュースをにぎわせているようです。
そして特許事務所の弁理士にもこの裁量労働制が適用されている
例は多かったように思います。
その辺の事情ってどんなだったっけと思い返してみることにします。

独立開業してからは裁量労働もへったくれもありません。
その前は特許事務所に勤めていましたが、
普通に残業手当が出ていました。
採用されたときは資格持っていませんでしたし。
あまり残業はしてなかったですが。
局所的に忙しい時期はありましたけど。
残業に追われていた時期は、事務所としてもその仕事を
必要としていたわけなので、その分普通に手当てが出ていました。

ある時期から、給与交渉の段階で、昇給と共に、
残業何時間まではこの給与に含むとかそんな条件が付きました。
そんなんだったら残業するの面倒だから早く帰ります、
とかいってとっとと帰ってました。
求められる業務量はこなしてましたからね。
ホワイトか?と問われると、あんまり大きな不満のある職場
ではなかったように思います。

その前の事務所はと言うと裁量労働制になっていました。
あと、株式会社スクウェアで働いていたころも裁量労働制でした。
キヤノン株式会社では、さすがに普通にスタッフなので
残業して手当をもらってました。
まあ思い返すと、裁量労働制ってのは結局残業手当を
出しませんよ、って運用しかしていなかったので、
そこをごり押ししようという財界の意向は不信感を持たれますよね。

大体裁量労働制のある職場ほど、勤務形態に裁量性がありません。
早く帰ろうとすると、「もう帰るの?」という雰囲気があったりします。
それ裁量労働制じゃないじゃんと思うのですが、
大体良くない方向に運用されますよね。

特許事務所で一番模範的な運用は、被雇用スタッフとして、
普通に残業手当をもらいつつ、売上とその寄与度を計算して、
その部分をボーナスとして付与する、ただし、残業手当分は
控除する、という形式だと思います。そういう事務所は多いですね。

一番ストレスフルだったのは、明細書のチェックを受ける立場の時って、
1件出来上がるまで何度も修正指示がかかりますよね。
そういうときって早くなんて帰れません。
にもかかわらず裁量労働性だったりしたので、
そういう制度の濫用がかなり予想される雇用形態だと思います。

裁量労働的な態様にするほど、自由度が高ければよいのですが、
そうでない職場の方が多そうです。
なので、裁量労働制を標榜する特許事務所は
ブラックである可能性が高そうですね。

裁量労働制とはどんな勤務形態か?と一言でいうと、
仕事の日の昼間からお酒を飲んでても咎められないか?
ということに尽きると思います。

ダメな職場は裁量労働制などと言ってはいけません。
弁理士であれば、弁理士会の委員会に参加できるかどうかが
1つの基準になると思います。
仕事中職場を離れられない職場は、裁量で働いていません。

裁量労働制の適用対象は絞ったほうが良いのではないか
とそんな気がします。

専門家がその専門家らしくないと強調する場合、キモい路線に走りがち

弁理士らしくない弁理士、そういう路線を強調したがる方多いです。
まあ私もその中の1人ではあります。
もっとも自分の場合は弁理士村の外側の出ようとしているだけであって、
弁理士っぽい弁理士」であることを否定する気はありません。
むしろ弁理士っぽい弁理士でありたいと思っています。

たまにこの「弁理士らしくない自分」を強調したいあまり、
なんか特殊性癖を強調する、というかキモい向きの方を
多少なりとも見かけるような気もしなくもありません。
それを目にする度に何か微妙な気持ちになります。

その、「弁理士らしくない」というのはそういうことじゃないと思うんですよ。

何かで見たのですが、いかにも〇〇(何かの専門家)らしい、
というのは一般的な〇〇(何かの専門家)が、
普通の社会人らしい身だしなみ、立ち振る舞いを
できていないことを示唆しているものであると。

つまり、〇〇(何かの専門家)らしくないね、というのは
意外にきちんとしているね、という話であるということを
小耳にはさんだことがあります。なるほどと思わせます。
まあ実は小馬鹿にされていると言えなくもないのですが。

この〇〇は、別に弁理士のことを言っていることではないのですが、
そこに弁理士を当てはめてみた場合、案外当てはまっていると
言えなくもないかなと思いました。

ごく例外的ではありますが、何かキモイ弁理士ぶりを
強調される方を目にすることがあるのですが、
それは「弁理士らしくない」というよりはむしろ
弁理士らしい」と言う方がしっくりくるような気がするのですね。

一般社会人ばりに、きりっとする方向ではなく、
それを打ち消すように別のキモイ要素を足していくのは、
特殊な世界の人間としての臭みを深めているようで、
弁理士らしくない」とは違う気がしました。

誰がどうという話はしませんが、まあ理系が多い世界ですから
そういう人もときどき見かけます。
そんなとき、そういうことをふと思います。

弁理士・特許事務所とSEO

弁理士として独立開業するぞ、というときにいろんなアプローチ
が考えられるのですが、うちの場合ある程度ネット経由
でもお客様は来ています。

ネット集客と言うのは勝ち組負け組がはっきりしていて、

・ネット集客でかなりの売り上げを出している特許事務所があり、
・うちみたいにある程度来ている特許事務所がありますが、

・多分9割程度はネットからは全く集客できていない、
 そしてネットから集客できているの?という疑問があるようです。

まあネット広告経由と言うものもあるのですが、
SEO的な施策を重視した方が良いように思われます。
このネット対策と言うのは、技術的事項で分からないから
業者に丸投げ、というケースが多いようなのですが、
それやるとドツボパターンのような気がするのですね。

SEOっていうとテクニカルな要素のようなイメージがありますが、
昔のようなバックリンクをはりまくるとか、そういう特殊な
対策が功を奏していた時代はもう終わっています。
どういうコンテンツを提供するかによってサイトへの
トラフィックは大きく左右されているようです。

コンテンツと言ったときに、ユーザにとって有益な情報を
書くこと、という建前的な議論が先行します。
そのこと自体は正しいのですが、やっぱり
トラフィックを集めやすいコンテンツの構成の仕方、
というものがあります。
特許明細書の作成も、自由でいいと言ってもある程度の
型があるように、コンテンツの構成にも型があります。
そこを踏襲するかどうかで結果の出方は違うような気がします。

弁理士 ブログで検索すればこのサイトはブログで一番上に
来ると思われます。その他、ブログ、本体サイトとも、
幾つかの検索ワードで検索上位になるようになって久しいです。

その意味でSEO的にはそれなりに成功を収めていると言えるのですが、
改善の余地は多く、何かしないとなと思いつつも、
日常業務に追われ、手が付けられてないままになっています。
ということで打つべき施策が何かは把握しているのですが、
集客できていない場合、まずなにやっていいかも
分からない状況かもしれません。

その辺はリサーチすればある程度出てくると思うのですが、
基礎的な事項と言うのはあると思うのですね。
例えばブログでも何でも1ページの分量は
ある程度ないと検索結果上不利になります。
競合ブログのほとんどは日記みたいなものなので
分量が少ないです。週1回でもいいから量を書くべきでしょう。
その意味でこのブログにはほとんど競合がなくなってしまいました。

あとはターゲットとする検索ワードをタイトルに入れる、
競合が案外弱いところを狙うとか、マーケティング的な部分なのですね。
サイトのSEOというのは自前で検討しないと結果が出ない、
と言うのはこういうことからも分かると思います。

まあ他にもいろいろあるのですが、基礎的なことを抑えている人
というのは何事もそうでしょうが案外少ないです。
特殊なことってのはあんまり必要ありません。