専門家がその専門家らしくないと強調する場合、キモい路線に走りがち
弁理士らしくない弁理士、そういう路線を強調したがる方多いです。
まあ私もその中の1人ではあります。
もっとも自分の場合は弁理士村の外側の出ようとしているだけであって、
「弁理士っぽい弁理士」であることを否定する気はありません。
むしろ弁理士っぽい弁理士でありたいと思っています。
たまにこの「弁理士らしくない自分」を強調したいあまり、
なんか特殊性癖を強調する、というかキモい向きの方を
多少なりとも見かけるような気もしなくもありません。
それを目にする度に何か微妙な気持ちになります。
その、「弁理士らしくない」というのはそういうことじゃないと思うんですよ。
何かで見たのですが、いかにも〇〇(何かの専門家)らしい、
というのは一般的な〇〇(何かの専門家)が、
普通の社会人らしい身だしなみ、立ち振る舞いを
できていないことを示唆しているものであると。
つまり、〇〇(何かの専門家)らしくないね、というのは
意外にきちんとしているね、という話であるということを
小耳にはさんだことがあります。なるほどと思わせます。
まあ実は小馬鹿にされていると言えなくもないのですが。
この〇〇は、別に弁理士のことを言っていることではないのですが、
そこに弁理士を当てはめてみた場合、案外当てはまっていると
言えなくもないかなと思いました。
ごく例外的ではありますが、何かキモイ弁理士ぶりを
強調される方を目にすることがあるのですが、
それは「弁理士らしくない」というよりはむしろ
「弁理士らしい」と言う方がしっくりくるような気がするのですね。
一般社会人ばりに、きりっとする方向ではなく、
それを打ち消すように別のキモイ要素を足していくのは、
特殊な世界の人間としての臭みを深めているようで、
「弁理士らしくない」とは違う気がしました。
誰がどうという話はしませんが、まあ理系が多い世界ですから
そういう人もときどき見かけます。
そんなとき、そういうことをふと思います。