弁理士うめざわブログ

特許事務所の弁理士による、特許事務所業界ブログ

弁理士資格は人気がなくなればなくなるほど価値が上がる

弁理士資格は、その存在を知り突破のために懸命に頑張っている人や、
業務上存在を知りその必然性を知るに至った人にとっては
価値が非常に高く見えますが、多くの人にとっては微妙です。

弁理士にとって、この弁理士資格はあまり価値があるように見えません。
どうしてあんなに頑張ってこんな資格取ろうと思ったのかと嘆く方や、
せっかく頑張って取った資格なのだから価値が上がってほしいと
願う方をときどき見かけたりします。

この弁理士資格の価値というのは下世話な部分で収入や、
キャリアパス等の観点で考えることも増えていますが、
いずれにしても同じような話です。

正直、技術や芸能などの成果物の価値が何倍もなっている業務と違い、
基本的に弁理士業務の価値というのは、確かにものすごく優秀な方
でしたらそれなりのものは提供されますが、普通に優秀レベルの方が
この仕事の価値を高めていくかというとそれは正直疑問が残ります。

例えば発明の価値というのは、それを創出した人の才能次第で
もういくらでも大きくなってきますので、その技術・産業の世界に
優秀な人材を呼び込むことは非常に重要です。

しかし弁理士をはじめとした士業の世界に、そんな優秀な人材が
必要かというと疑問です。業界に人材が大量に入ってきて、
優秀な人勢が選抜されていく中で業界が活性化するかというと、
別に活性化しないように思います。

例えば2000年前後、知財バブル前夜頃と、知財人口がピークに達した
リーマンショック前後くらいではどちらが業界とって潤っていたか、
を考えれば明らかです。昭和の時代は直接分かりませんが、
その時代の業界を考えても今はその頃よりも弁理士資格の価値は
下がったなと思う方がほとんどでしょう。

まあ下世話な話、あまり業界が不人気で、人材が流入せず、
何その資格おいしいのと言われている方が、
弁理士資格の価値は上がるのです。
資格予備校の講師の方や、搾取を進めたい大手特許事務所の所長
にとっては人材流入の減少は望ましくないですが、
やっぱり独占資格ですし、独占による排他的効力が発揮される方が
大多数にとっては、資格の価値は向上するわけですね。
そのためには人気もなく、知名度も低い方が全体としては
利益は大きいのかなという感じはします。

しかしその一方で、自分は弁理士資格などという難関資格を
得た立派な人物なのだから、もっと褒め称え、尊敬し、
敬意を持ってほしいと考える人が思いのほか見受けられ、
そういう人はもっと資格の知名度を上げてほしいと思うようです。

まあ自分は不人気資格に舞い戻ればよいと思うのですけどね。
その辺の考えは人それぞれです。

特許事務所業界事情も、情報が古くなってく

昨日は弁理士会関連の飲み会があり、情報交換をしてきました。
ウェブサイトというのは存続年数が長いほどに
検索エンジンの評価が高くなると共に、
人の記憶にも「ああ、あのブログ弁理士ね」
的な認知が蓄積される面があります。

そういう経緯もあって、昔出した情報の権威付けが
今なお高まってしまったりすることもありますし、
人の記憶にもそんな風に定着しがちです。
しかしながら実際のところ、世の中というのは激しく変動します。

ぶっちゃけあの情報、今は古いんだよねという面があるのですが、
いちいち修正するのも何だし、最新情報を改めて
アップデートするには最近の業界事情に疎くなっています。

そうはいっても特許業界人は、知識の習得には貪欲ですが、
感覚のアップデートというものには前向きでない人が多いです。
大体の人が2年たっても3年たっても、世の中なんて大して変わっていない、
と思いながら日々の生活に追われています。
その辺も踏まえて、いちいち情報を更新するのが億劫だったりしますし、
大体このブログの更新頻度もかなり落ちています。
本体サイトの近況報告はもう1年くらいそのままです。
お前の近況はないのかと突っ込まれても何も言えません。

あとまあ情報の出し手として、その情報に飽きてしまう面もあるのですね。
年取ると他人の恋愛話への関心が年々落ちていくように、
人の職場の人事事情、待遇情報、業界事情に無頓着になります。
興味は落ちるのですが、2-3年くらいだと人がやることなんて
大して変わっていなかったりします。
なので、5年くらい昔の話でも、案外今も通用したりするんですね。
だから古い様で古くなかったりということも多々あります。

また若いころのように同じ面々と毎週会うようなこともなくなります。
おお久しぶり、といいつつ、会うのは1年ぶりならいい方で、
3年ぶりとか普通にあります。久しぶりってレベルじゃないだろ、
って話になるのですが、時間の流れはスローになりますね。
情報は古いのですが、古さに対する感覚も鈍化するのですね。
古いものを古く感じなくなる。

まあこのブログの情報なんてその程度の位置づけです。
へー、と思って読み流してくれればそれで良しです。

発展する特許事務所

前回記事の続きです。
一見発展している特許事務所に応募してみても、
実はその内情は非常に残念なこともあるよ、
という話の続きとして、ではどんな特許事務所が発展するのか、
という話題からもう1週間もたってしまいました。

端的にいうと仕事をたくさん取ってきて、
人材を採用してどんどん仕事を割り当てる体制にあれば
特許事務所は発展している状態ということになります。
少なくともイケイケ系に見える特許事務所は、
外から見えるだけでなく内情においてもそうであることは
間違いないでしょう。

しかし見た目はイケイケながら内情は火の車である
特許事務所の噂は実に多いです。金銭的に火の車なのですね。
取ってきた仕事の単価が低く、忙しいのに儲からない、
採用したスタッフの技能が低く、業務がはけていかない。
要するにこういう状態だと貧乏暇なしになります。
手あたり次第仕事は取ってきた、採用したスタッフは未経験で
しかも実力がいまいち伸びていかない。
そんな状況だと金銭的に厳しくなります。
あと、人を採用すると事務所を広くせざるを得ず、
テナント料も高いですので、そこも圧迫してきます。

本当に発展していく特許事務所はその辺をうまくさばく必要がありますが、
実際のところ特許事務所にとって有用な人材を採用するのは
難しい問題があります。能力は高くても実能力以外の部分で
事務所との波長が合わないケースもあります。
伸びしろを見たいところですが、そこは各所四苦八苦しています。
となると受任案件の単価率ですね。
中堅どころはそこをうまく選別して採算性を確保していますが、
そういう仕事は多くはないので、急成長は難しいです。

あとは、経験が低くてもできる仕事を多く抱えるというのが
大手特許事務所が抱える戦略ですね。
安くても悪かろうで良ければ未経験者で大丈夫です。
そういう阿吽の呼吸で受任される案件というのも業界では多いです。
まあうちのような規模のところにはほぼ回ってきませんが。

こうやってただ拡大するだけではなく、採算性もうまく確保するのが
発展する特許事務所なわけです。

どんな特許事務所に入るべきなのか

自分の応募する特許事務所がどんなところが良いのか、
というのは結構悩ましい問題があります。
将来性があると良いなあというのも1つだと思います。

特許事務所の将来性というのも悩ましい問題で、
10年20年の間に、屈指のホワイト特許事務所が没落したり、
有名なブラック特許事務所が内部改善に努めたり、
色々勢力図が変わったりもします。

またありがちな現象として、誰かにはブラックだけど、
他の誰かにはホワイトという現象もあります。
そんな中、この特許事務所には将来性があるなと
見極めるのが難しい点もあります。

あと表向きには発展成長しているようにイケイケに見せても、
その内情は非常に残念なことになっている特許事務所の
情報もたまに寄せられます。
外面のために所員に無理させている特許事務所もあります。
イケイケであることが働いている人にとって良いことなのか、
というのもまた難しい面があります。

じゃあ地味なとこなら良いのかというと、
単純に内部の空気感が悪い特許事務所もあります。
また平和極まりない特許事務所もありますが、
そういう空気が自分に合わないという話もあったりします。
何も考えずにノルマこなすだけなら平和な空気だけど、
出世なり待遇を求めると見えない天井があることもあります。

この記事はどんな特許事務所が発展するのか、
というタイトルで書き始めたのですが、
書いているうちにわき道にそれていって、何書いてるか
分からなくなってきたので、本記事はこういう中途半端な
内容で終わりにします。

弁理士というのは、ダメな理由を探すのが得意な人が多い

やってみればいいのに、というのを理由をつけてやらない選択を
する人は世の中多いなあということを時々思ったりします。
弁理士が大体そうかというと、そうでない人も多いし、
別に弁理士に限った話でもないのではありますが、
まあこういうブログなので、その辺若干盛ることにしました。

自分が何かをやるときというのは割と損得勘定をある程度
天秤にかけて計算するようにしてます。失敗する確率が高くても
別にそれで大して損しないものならとりあえず行動して見る派です。
「損する」の中には、気分を害するものであったり、
忙しい中予定を突っ込んでみて、時間を無駄にしたり、
ということも含みますので、やってみればよいこと
全てをやってみる訳ではないのですが、
基本暇で金がかからなければ、色んなことはやってみます。

失敗したらどうしよう、というのは失敗してみて
それでフィードバックが得られれば良い話なので、
自分の中ではそれもまた成果の1つなのですよね。
こうすればこうなる、という見通しを経験的に得られる、
というのはメリットだなあと思うのです。

特にその人の現状に納得がいく状況ではないとき、
自分はうまくいくかは知らんけどとりあえずやってみれば、
ということを人に言いますし、勧めるときは、少なくとも
マイナスになる話のことはあまりないはずなのですが、
ある種の人たちは、そういうときに全力で
うまくいかない理由や、やらない理由を探すのに
熱心になることが多かったりするのですね。

短絡的かつ即物的な結果を求める人が
世の中には驚くほど多いです。
Xという成果を得るために、Yという行動をして、
Y→X、という成果を求める人は実は世の中の大半です。

しかしXという成果を得たくても得られてない訳なので、
深淵の部分でいろんな原因を内包していたりもします。

Aという行動をすることでBという状況になり、
Cという行動をすることでDという状況になり、
BとDという状況が揃うことで初めて、
Yという行動がXという成果を出すことってのは
世の中多いように思います。

なのにこういう形でいろんな行動をしてみて
状況をとりあえず変えてみる、という提案に対して、
世の中の大半の人たちは頑なです。

まあ年取ると頑固になるのでそこは柔軟でありたいと思います。
その一方でとりあえず人騙そうという人もそれなりにいたりもするので、
自分の頑固さと、慎重であるという部分は区別できるようでもありたいです。