弁理士うめざわブログ

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人工知能への過大評価は、たまに良いことをした不良が褒められるのに似てる

人工知能って概念は結構昔からあります。
人工知能への期待ってのは、昔から高くて、
それでいて期待外れであり続けたのですね。

だからまあ、今更人工知能が、という盛り上がりを見せて
いるようなのですが、そういうのを思い出すと、
素直にその盛り上がりに乗れない、という本音があります。

もちろん人工知能に関する技術革新がここのところ
大きく進んだというのも事実でしょうし、
技術的特異点を過ぎれば、パソコンやインターネットのように
急速に世の中を変えるということもありうるでしょう。
しかしながら、現在人工知能を取り巻く期待のうちの、
100くらいあるうちで実際に叶うのは
1くらいではないの、というのはあります。
もちろんその1つが叶うのであれば、それはきっと
イノベーション的にすごいのではあるでしょうけど、
けど実際は残りの99は実現しないのではないの、
という思いもまたあります。世の中のほとんどのものは、
人工知能に取って代わられることはないでしょう。

要するにそれなりの成果は出てくるでしょうけど、
期待しすぎだと思うのですが、どうしてこんなに
盛り上がるのでしょうか。
それは多分、かつて過大評価だった人工知能が、
それからしばらく過小評価の時期を経て、
今度は再び過大評価に戻りつつあるのではないかな、
とそんな気がするのです。

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自分いまいち凄さを感じないのは、現在の人工知能について
そこまでの深い理解がないからなのかもしれません。
そういう冷ややかな見方だった人間が、想像していた以上の
人工知能技術の進化を目の当たりにしたとき、
必要以上に興奮している、ということなのかもしれません。
それは多分、冒頭のタイトルのように、
たまに良いことをした不良が褒められてるような状況ですね。

自分としては、実際に何か生産的なものが実現されて
はじめて人工知能はすごい、でよいような気がします。
囲碁とか将棋のAIは単に膨大なデータベースを
マシンパワーで力押ししているようなので、
いうほど人工知能で何かができる状況が
産まれてきている気はしないのですよね。

さてこれからどうなることでしょうか。